行徳を描いた作品を集めてみました。
「行徳音頭 東葛飾郡南行徳町」 ハー ぬしは沖へ出る マタわたしは田圃(たんぼ)ナアヱ 夫婦揃ふてイツチヤサツト(イチャサット)共稼ぎナアヱ エー私しや行徳マタ鹽濱(塩浜)育ちナアヱ 色の黒いはイツチヤサツト親譲りナアヱ ハアー行徳名物マタ自慢は無いがナアヱ 鹽(塩)に新海苔イツチヤサット鹽濱 踊ナアヱ エー沖の鷗(かもめ)にマタ汐(しお)時きけばナアヱ 私しや立つ鳥居イツチヤサツト浪(なみ)に聞けナアヱ ハアー清き流れのマタあの江戸川にナアヱ 米磨く娘のイツチヤサツト水鏡ナアヱ エー行徳名物マタあの海苔さへもナアヱ 好いた上ならイツチヤサツト身を焦がすナアヱ ハアー行徳よいとこマタ名所の こころナアヱ のぼる朝日にイツチヤサツト波が散るナアヱ ( 『日本民謡大観 関東編』(日本放送出版協会1944)より) 『日本民謡大観 関東編』には、行徳音頭に続き下総国印旛郡遠山村の民謡「いつちや節」の譜面が掲載されている。解説によると、行徳音頭といつちや節は曲名は変わっているが同じもの。 「共に踊が附いていて、宴席などで陽気に踊られる。南行徳の方の踊りは『鹽濱(しおはま)踊』と呼ばれ、徳川時代鹽田(えんでん)に働く鹽田掻きから傳へたと云つているが、矢張りこれと同系のものが常陸の鹿島郡方面にあつて『鹿島甚句』と呼ばれて同じく宴席などで踊られてゐるから流行唄の一種なのであらう」と記載されている。 |